トアロード

元町にある神戸大丸前から神戸市役所にかけての南側一帯は、現在「旧居留地」と呼ばれています。
居留地は日本の支配が及ばない治外法権の場所で、外国人の自治によって運営されていました。
開港が決定すると、居留地の開発工事がはじまり、「東洋でいちばん美しい居留地」と呼ばれるほどの
計画的な街が誕生します。歩道と車馬道に分かれた広々とした道路があり、下水道が整備され
街角にはガス灯がつけられました。

しかし居留地が完成しないうちに開港を迎えたため、開港と同時に来日した外国商人は住む
場所がありませんでした。そこで諸外国の公使は、居留地の地域外への外国人居住の許可を求め
日本政府はそれを承認します。彼らは 神戸を一望できる山手への居住を希望しました。
これが現在の「北野異人館」です。
その後、港の発達と共に多くの外国人住居地が誕生し、メリケン波止場までの道路の整備が必要となりました。
明治5年、東西と南北への道路建設が着工され、翌年2月には居留地と山手を直結する道路が開通します。
この山手と居留地を直結する道路こそ、現在の「トアロード」になります。
そしてトアロードは、外国商人たちの単なる通勤路ではなく、彼らの生活の一部として発展しました。
居留地制度は、1899年に解消されます。しかし、日本に返還されたのちも彼らが持ち込んだ
西洋の生活様式、衣・食・住にまつわる店舗が生まれ、自然と和洋折衷の街が誕生しました。
現在でも当時から創業する店舗があり、その歴史の重さを感じさせます。
そして、この「トア」の意味には諸説あります。
坂の上の北野町4丁目にドイツ人がトア・ホテルを開業しそこへ通じる道説。
ホテルが外国人向けにはトア、日本人向きには東亜と使い分けていて、トアでも、トーアでもいい説。
英語で「丘」を意味する説。
ドイツ語で「門」を意味する説。
鳥居(Torii)の下を略したという説。
東亜だという説。

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