舞子六神社

創建は所蔵する金幣に「六社大明神播州明石郡山田村之住 施主敬白」と刻されている
御祭神は明石・岩屋神社と同神であることより
江戸時代前期に岩屋神社より御分霊を勧請して山田村の鎮守としたとされる
当初は六社大明神と称していたが明治の神仏分離令により六神社と改称した
この地区は昔明石郡山田村で土地の人は今も「ヤマタ」と言い
ヤマタ内の、東舞子1、東舞子2、仲之町、戎町、西舞子、北之町、川西町の
旧町名六地区が神社を境にして東西に分かれ
各町2名ずつの宮総代が祭礼の準備・諸行事を取り仕切る
社前の舞子浜は海の難所であったため海上安全・村内安全を祈願して
奉納されたと思われる狛犬や石灯篭がある
夏祭りは7月24日、秋の大祭は10月の体育の日
2月3日の節分祭は、とんど祭と呼ばれ境内に直径4mほどの穴を掘り
古い神符や家で祀っていた神棚などをお祓いの後に火をつけ焼納する

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