2003.06.10

走り始めたきっかけは、運動不足だから少し体を動かそう位のことだった。

大会に出ても、あぁしんどかった、遅いなぁ、もうちょっと頑張ろか程度。

個人でやっていたし、競う相手もいなかった。

ただ、大会に行った時に、仲間同士でレース後ビールを飲んだりBBQをして

歓談しているのが、羨ましかった。

そんな時に巡り会ったのが、「健全なる出合系サイト」走快ねっとRCでした。

「走る」という共通の趣味で、老若男女関係なく楽しく語り合える時間が

持てるようになったのは、幸せでした。

共通の趣味が「走る」ですから、当然皆走るし、ネットの仲間だから、情報は

瞬時に駆け巡る。まだ若かったんでしょうね。単純だったんでしょうね。

ほかの人の好記録に刺激を受け、生来の負けん気が首をもたげてきて

ガンガン走り、どんどん大会に出て、記録は飛躍的に伸びた。

しかし、ただ走るだけで、ケアーなんて殆どしなかった。

というか、その大切さをあまり判っていなかった。

いつしか、気がつけばタイムばっかしを競うようになっていたように思う。

まだまだ頑張れる、まだまだ伸びると、思っていた時期でした。

「いつかは記録は伸びなくなるヨ。それを分かってる?。」

「走るだけでなく、体の手入れをもっとしっかりやらなぁ〜。」

そんな冷静な家族の声も適当に聞いていたのかもしれない。

2001年。今から思えば、今回の症状のスタートはこの頃だったかも。

走ったあと、疲れがとれにくくなってきた。走りすぎと注意されたこともあった。

それでも、走ることは止めなかった。いや、正確には、止められなかった。

立ち止まることが怖かった。

2002年。脚の疲れは相変わらずとれにくいし、後半にはケガや故障でまともに

練習ができない日々が続いた。2ヶ月ほどの「オフ」も経験した。

秋に病院でMRI検査を受けるも、特に所見はなく疲れたら休む程度の話だった。

2003年。脚に回復の兆しは見えない。むしろ悪化しているように思えた。

スムースに脚を運べないから、自分で意識して前に脚を運ぶ感じ。

自分の脚なのに、思うように動かせないもどかしさ。

休んでも脚は軽くならないし、腰は慢性的に重くだるい。

春にハーフを2本走って、自分の体調の異変を確信した。

レース中走れば走るほど、鉛のように脚が重くなっていく。

全ては腰から来ているのではと・・。

浜坂の二日後、加古川市民病院に向かう。

問診のあとレントゲン。そして再び写真をみながら診察。

恐らく腰でしょう、との見解。脊柱管狭窄症かもしれないとのこと。

6月10日。MR検査。

写真を見せてもらいながら、説明を受ける。

「中心性ヘルニア」と言われました。

側面からみた画像で、第4、第5腰椎あたりで椎間板が他に比べて充分な水分と弾力性

が少なくなっているのがわかる。そして、背中の方に少し出ている。

出ている形状によっては、元の位置に戻ることもあるそうですが

私のは、その可能性はないとのこと。

垂直方向から見た画像では、2箇所で神経を少し圧迫しているのがわかる。

それが腰が重い感じがする原因です。

手術をするほどの人は100人中1人くらいとか。

走ることを止めなさいとは言われなかった。

腰に負担のかからないようなフォームにするようにと言われた。

単純に言えばのけぞるような姿勢はダメです。

睡眠を充分取ることで腰を休めてやるようにと。

腰に負荷のかかるようなことは出来るだけしない。

重いものはもたない。同じ姿勢を長く続けない等です。

これからも、長く付き合うことになりそうです。

良くなる可能性はまずないので、これ以上悪くならないように気をつけるのみ。

これまでの、上半身を少し前に突き出したような「立つ姿勢」も

よくなかったのかもしれません。

腹筋と背筋を強化して、少しでも進行を防ぐつもりです。

 

もしかしたら、これからが本当のマラソン人生の始まりかも・・。

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