長田神社

沿革
神功皇后(じんぐうこうごう)摂政元年春2月、皇后が新羅より
御帰還の途中、武庫の水門に於て「吾 (あ)を御心(みこころ)
長田の国 に祠(まつ)れ」とのお告げを受けて、山背根子の
女・長媛(ながひめ)を奉仕者として創祀された全国有数の
名大社である。(日本書紀 神功皇后摂政元年条 
西暦201年と伝える)
古来、皇室をはじめ武門の崇敬あつく、延喜式の制では
名神大社 更には祈雨八十五座に列し、神戸(かんべ)41戸
もって奉祀護持され、今日の神戸発展の守護神と仰がれている。
神戸の地名はこの神戸(かんべ)に由来する。

追儺式
地元の人々に”長田さん”の呼び名で親しまれる長田神社は
節分に催される厄除け神事「追儺式」でも有名で、毎年大勢の
参拝客で賑わう。
追儺式の起源は室町時代までさかのぼり、今も古式ゆかしい神事
が繰り広げられている。
2月2日の「鬼の餅つき」から始まる追儺式は3日の神事がクライ
マックス。須磨海岸で身を清めた氏子たちが、神様の使いとされる
7匹の鬼となり、松明の炎や太刀を持ちながら豪快な演舞を披露
する。
松明の炎は災いを焼き尽くし、太刀の刃は不吉を切り捨てるとい
われ参拝者は松明の燃え残りを家の玄関につるして一年の平穏
を祈るのが風習。
神事に使われる鬼面や太刀等は、室町時代から伝わる貴重な
品々で追儺式は兵庫県の重要無形民族文化財に指定されている。
078−691−0333
神戸高速鉄道高速長田駅、神戸市営地下鉄長田駅から徒歩10分


  
 
 

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