神戸はじめ物語

                                                

                                                神戸新聞より抜粋
軍艦マーチ
   正式曲名は「軍艦行進曲」。日露戦争の当時、海軍軍楽隊のメンバーである瀬戸口藤吉氏が作曲
   明治33年4月30日に神戸沖観艦式で初めて演奏された
カブスカウト
   ウルフ・カブ。現在の日本のカブスカウトに当たる名称。日本では大正12ねん、吉田誠一郎により
   須磨区に日本人の手による最初のウルフ・カブが誕生した
鉄筋コンクリート製寺院
   正式には浄土真宗「本願寺神戸別院」。花隈で異彩を放つ通称「モダン寺」はわが国初の
   インド仏教様式デザインの建造物で、寺院としては日本最初の鉄筋コンクリート造り
炭火焼焙煎珈琲
   昭和3年10月灘区城内通に開業された萩原珈琲の初代社長・萩原三代治がコーヒー豆の輸入が
   再開された昭和25年炭火焼焙煎珈琲を開発した
点字印刷
   白内障が進み26歳で失明した左近充孝之進は明治38年6月10日神戸訓盲院(現・県立盲学校)を設立
   さらに日本で初めて点字の活版印刷機を発明し初の点字新聞「あけぼの」も発刊した
鉄鋼灯台
   須磨海浜公園の西端にある和田岬灯台は明治17年に日本最初の六角形の鉄鋼灯台として設けられる
   当時の和田岬浜が埋められ陸灯台となり昭和39年に現在地に移転され赤灯台と親しまれている
コンクリートダム
   布引ダム(五本松ダム)は水道用ダムとして明治33年3月24日に完成
   日本最古のコンクリートダムである
   イギリス人ウィリアム・バルトンの指導、大阪市から招へいされた技師・佐野藤次郎の設計
自動車タイヤ
   明治42年10月英国ダンロップの極東会社(現住友ゴム工業)の工場を脇浜に誘致
   わが国初の近代的ゴム工場として創業された
   当時は人力車タイヤや自転車タイヤなどを製造していたが大正2年国産第一号の
   自動車タイヤが誕生している
跨線橋
   阪神間の鉄道開業で日本初の跨線橋・相生橋がつくられた
   現在のJR神戸駅の東側だが当時の西国街道が元町通から多聞通に走っていたので
   鉄道を横断することになり跨線橋をつくった
船舶電話
   大正12年入港中の船舶と陸上の加入者を結ぶ船電話が日本で初めて開通し
   ちょっとの用事で船を下りなくてもよくなったと好評だった
   当時、横浜、大阪、神戸の海運関係者が逓信省に申請、神戸に対してだけ初めてこれを認めた
海洋気象台
   大正9年、神戸の海運業者が資金を寄付する形でわが国初の海洋気象台が旧生田区中山手通りの
   高台に創設された。日本最初の観測事業は8月26日より開始
ティーバッグ
   昭和36年、「神戸紅茶」の親会社「須藤」(紅茶製造加工会社)が日本で最初に
   ティーバッグマシンをドイツから導入したのがはじまりと言われている
サイダー
   はじめは、有馬温泉があった地域の湧き水。「毒水」と呼ばれ人々から恐れられていたが
   明治6年、県の調査により、良質な炭酸水であることが判明
   この水に香料や甘味を加えた「有馬サイダー」が日本で最初のサイダーと言われている
鉄道トンネル
   明治7年五月、神戸〜大阪間に鉄道が開通。この時イギリス人技師ジョン・ダイアックらの指導を
   受けて、川底にトンネル工事をしたのが石屋川トンネル。和製レンガ造り全長61mで日本初の
   鉄道トンネルでした
ケーソン工法
   明治40年神戸港の第一期修築工事がはじまった際、岸壁工法には、日本最初の鉄筋コンクリート・ケーソン
   工法が採用され、大正11年、神戸港第一突堤に水深9m以上の大岸壁を完成させた
    
海釣り公園
   「須磨海釣り公園」は日本で始めての公営の海釣り公園
   昭和51年4月オープン
 商店街アーケード
   商店街にアーケードは今やつきものだが本格的な鉄骨造りアーケードの誕生は
   昭和28年7月神戸元町商店街が日本で最初と言われている
 御影石
   六甲山の花崗岩。聖徳太子の頃から優れた石材として切り出され大阪城の石垣にも使われた
   東灘区の御影町あたりでとくにたくさん採られたのでその名がある
   後には広く花崗岩全体の呼び名となった
 バウムクーヘン
   大正13年三宮に洋菓子店を開いたドイツ人のカール・ユーハイムによって初めて焼かれ販売された
   いつも店頭でディスプレイされたバウムクーヘンは当時「ピラミッドケーキ」と呼ばれていた
 ラムネ
   名前はレモネードから由来したもの。明治17年に生田町で生まれた
   居留地18番でスコットランド人アレクサンダー・C・シムによって創業された「シム商会」が製造販売
   栓を抜くときの音から「ポン水」とも呼ばれ、愛称「18番」で売られていた
 パーマ
   大正12年、アメリカからパーマネント機普及のためエンプレス父子が来日
   関東大震災のため東京に上陸できず、神戸のオリエンタルホテルに宿泊したのがきっかけで
   ホテルの理髪部を経営していた紺谷安太郎の妻・寿美子が機械を導入したのがはじまり
 カラオケ機器
   カラオケ第一号機を考案したのは中央区日暮通りにある音響機器メーカー「クレセント」創業者
   井上大祐で、昭和47年頃にコインタイマー内臓のマイク端子付き8トラックプレーヤーを手作りで制作
   弾き語りで録音した伴奏テープ10巻40曲をセットして店舗へレンタル提供した
   店舗での使用料金は1曲5分100円だった
 デパートの土足入場
   土足のまま入ることが出来るデパートが日本で初めてできたのは大正12年5月15日
   福原にオープンした「白木屋」の神戸出張店
   現在では土足厳禁のデパートなどないが、当時の業界としては驚くべきことだった
 河川トンネル
   明治34年7月11日、わが国初の河川トンネルである「会下山トンネル」が完成
   全長673mレンガ作りの馬蹄形。川床は石畳張り。ツルハシとシャベルの手掘りによって作られた
 斜張橋
   神戸港の取扱い荷物量の増加に伴って昭和30年代末から摩耶埠頭の建設が始まった
   西側にある新港突堤と摩耶埠頭間に架けられたのが摩耶大橋
   1本の赤い塔柱に鋼索の張られたシンプルな橋は当時日本で最初の本格的斜張橋だった
 鉄道可動橋
   和田岬にある「和田旋回橋」は明治33年頃に神戸の兵庫運河に架けられた5つの
   「可動橋」の一つで日本で初めての鉄道可動橋
 無人運転電車
   わが国で初めて無人による完全コンピューター制御運転を行う新交通事業は
   「ポートライナー」と名づけられ昭和56年2月に開業
   三宮〜ポートアイランド間を最高時速60km1周9.2kmを27分で走った
 ウイスキーボンボン
   中にウイスキーが入っているボトル型のチョコ
   ロシア革命の戦火から逃れた宮廷の高級洋菓子人マカロフ・ゴンチャロフによって
   大正12年灘区船寺通りで生まれた
 バス事業
   明治38年6月、有馬自動車会社が三田〜有馬間にガソリンエンジンの乗り合い自動車を走らせた
   これがバス事業として初めて成功した
 パン
   開港から1年後の明治2年に外国人居留地にイギリス人とフランス人の経営による2軒のパン屋がオープン
   ここで技術を学んだ日本人が明治中期に入ってパン屋さんを開いたと言われている
 健康優良児
   昭和5年5月5日、第一回日本一健康優良児表彰式に兵庫区にある大開小学校5年
   望月茂輝くんが日本一に選ばれた
 ゴム工場
   日本のゴム工業の起源は明治18年、「日本護謨製造所」が兵庫区上橘通りに誕生
   ゴム球やゴム枕の製造を行ったのが
 優先座席
   昭和46年お年寄りや体の不自由な人、妊婦さんなどに優先的に利用してもらおうと
   神戸市バスに設けられた「オレンジシート」がはじまり
 いかなごの佃煮
   いかなごの佃煮は垂水区が発祥の地と言われている
   以前は釜揚げやちりめんとして食べられていた
   1960年代頃、垂水の漁業関係者が「くぎ煮」と名付ける
   名前の由来はいかなごの炊きあがった姿が「折れ曲がった古くてさびた釘」に似ていたから
 寝台列車
   明治33年4月8日、神戸〜三田尻(山口県防府市)間を山陽鉄道が
   わが国初めての寝台列車を走らせた
   料金は上下の区分なく、半夜で1円50銭、全夜2円50銭と使用時間によって決められていた
 花時計
   現在(2006年)全国に花時計は100ヵ所近くあるようだが、日本で初めて作られたのが神戸
   スイス・ジュネーブにあるイギリス公園の花時計をモデルに製作された
   昭和31年に完成、その年の4月26日新市庁舎開庁と同時に時を刻み始める
 コーヒー
   明治7年創業の日本茶の老舗「放香堂」が、現在も営業している中で
   最も古くコーヒーを扱った店とされています。明治11年12月26日の新聞に
   「焦製飲料 コフィー 弊店にて御飲用或は粉にてお求共にご自由・・・・」という
   広告を出しているのがその証。「焦製」とは「焙煎」という意味
 喫茶店
   前出の新聞広告の中には「飲用も自由」と書いてある
   もし、コーヒーを飲むスペースがあってそこでコーヒーがサービスされていたら
   放香堂は日本で最初の「喫茶店」ということになる
 ゴルフ
   明治34年イギリス人貿易商アーサー・H・グルームが六甲山上4ホールのコースを造って
   仲間たちとゴルフを楽しんだのが日本ゴルフの起源とされている
   2年後に日本初の倶楽部「神戸ゴルフ倶楽部」」が誕生した
 牛肉店
   湊川神社の近くで現在も営業している大井肉店
   明治4年の開店で、日本の牛肉専門店の草分けである
   この店の創業者・岸田伊之助がはじめのうちは外国船への納入だけだったが
   一般にも普及するようになってなって小売も始めた
 かまぼこ
   日本書紀にもある神功皇后の戦の時、川で魚を釣り吉兆を占い、また生田神社で
   魚肉のすり身を鉾の先に塗りつけ焼いて食べたと言われることから
   蒲鉾の発祥の地とされる
 クリスマスオーナメント
   明治30年頃仏具として使用されていた経木(木材を紙のように薄く削ったもの)で作られた
   モールが神戸在住の外国人の目にとまりクリスマス用のモールとして作られたのがはじまり
 鉄道鉄橋
   わが国最初の鉄道鉄橋は武庫川鉄橋と言われる。当時の主任技師補であったジョン・イングランドが
   概略設計してイギリスに送りさらに詳細設計を行った後、ダーリントン社が製作、明治7年に完成
   全長255m、鋳鉄製の装飾のついた垂直のエンドポスト、鉄柱式の橋脚が特徴的
 サッカー
   明治21年KR&AC(神戸レガッタ・アンド・アスレチック・クラブ)とYCAC(横浜クリケット・アンド・
   アスレチック・クラブ)との間でインターポートマッチが開催
   2対1でKR&ACが勝利した試合は日本最古のサッカー対抗試合として記録されている
   翌年神戸の御影師範学校に日本人だけの初のサッカーチームが誕生した
 近代洋服
   明治2年、英国人カペルが居留地16番地で洋服店を開店したのがはじまり
   神戸市役所南側の東遊園地にスーツの型紙を形取った「日本近代洋服発祥の地」の
   モニュメントが建っている
 ジャズ
   大正12年4月、宝塚少女歌劇団で楽団員をしていたバイオリニスト井田一郎が退団後
   日本初のジャズバンド「ラフィング・スター・ジャズバンド」を結成したことがはじまり
   今でも神戸はデキシーランドジャズのメッカとして広く知られている
 洋菓子
   明治3年、外国人居留地にフランス人によって初の欧風ホテルが開業し
   そこでは、外国人向けに本格的なデザート菓子が作られた
   明治15年に元町通3丁目で神戸初の洋菓子店「二宮盛神堂」がオープン
 瓶詰め清酒
   明治20年、清酒の品質を保持し、運送や保管に便利な瓶詰めが神戸から始まった
   自社製の一升瓶を使用したのは明治34年の白鶴が日本で最初といわれている
 洋家具
   明治5年創業の「永田良介商店」が明治16年頃に洋家具の販売を始めたとされる
   曲線的な西洋家具の製作には、神戸に出稼ぎにきていた香川県塩飽諸島の船大工の
   和船製造技術が活かされた
 水族館
   明治30年、神戸で大日本水産博覧会が開催され、同時に兵庫区和田岬にあった
   「和楽園」に日本初の本格的水族館が建てられた
 赤帽
   明治26年、神戸駅に日本で初めて赤帽が誕生した
   当時お客さんの車両への乗り降りをスムーズにするため手荷物を運ぶのを手伝うのも
   サービスのひとつだった
 ボクシング
   ボクシングは日露戦争で捕虜となったロシア人によって伝えられたといわれている
   昭和2年、初の公式戦が新開地の聚楽館で開催。そして同年初のボクシングジムが御影に開かれた
 8時間労働
   大正8年10月1日、川崎造船所(現・川崎重工業)の神戸の工場で当時の社長松方幸次郎のもと
   わが国初の8時間労働が実施された
 駅弁
   「神戸駅史」の記述によれば、明治10年2月の西南戦争で官軍は神戸港から船で兵隊を九州に
   輸送していたため、神戸駅には派遣途中の兵士が多くそこで立売弁当販売の要請があったのが
   はじまりではないかといわれている
 チンパンジーの人工哺育
   王子動物園の飼育係の亀井一成は昭和49年5月4日に誕生後母親を亡くした
   赤ん坊チンパンジー「神ちゃん」を自宅に引き取りおしめをつけ哺乳、お風呂に入れるなど
   満3歳になるまでわが子のように育てた
 鉄筋コンクリート製の灯台
   明治26年10月、東垂水沖の平磯に、イギリス人技師の指導で、初の国産セメントを使った
   鉄筋コンクリート製の灯台が建設された
   昭和11年「月と6ペンス」などで有名なイギリスの作家サマセット・モームがこの灯台を舞台に
   短編「困った時に友」を書いている
 ぶたまん
   大正4年。中国で天津包子と呼ばれる饅頭を、味・名称ともに日本人に馴染むものにしようと
   考え「ぶたまん」を生み出したのが、南京町にある元祖豚饅頭の店「老祥記」
 映画
   明治29年11月25日相生町で鉄砲火薬商をしていた高橋信治がエジソンが発明した
   「キネトスコープ」というのぞきめがね式の箱型機械を購入。神戸花隈の神港倶楽部で映画を
   初めて有料で上映した。これが日本の映画史のはじまりとされている。
 缶コーヒー
   昭和8年上島忠雄商店として創業した「UCC上島珈琲」が昭和44年に世界で初めて
   缶コーヒーを開発し製造販売した。値段は80円。
 メロンパン
   ラグビーボール型に白あんが入っているメロンパンは広島県のパン屋が発祥の地だが
   パン工場で大量生産を開始したのはコープこうべがはじめて
   ちなみに、他の地域で言う半球型のメロンパンは神戸では「サンライズ」とも呼ばれることもある
 水上署
   「神戸市史」によると、「明治初年、運上所船改役に海上の取締りを任ぜしめた・・・」とある
   開港当時から海上の取り締まりは行われていた
 乗馬クラブ
   社団法人神戸乗馬倶楽部は大正4年に葺合区南本町4丁目(現・中央区脇浜)に馬場を作り
   創設された。全国民間乗馬倶楽部の中では日本最古の歴史と伝統をもつと言われる
 アルミ車両
   昭和37年、日本で初めてアルミ車両を導入したのは山陽電鉄の2000系
   以来、アルミウムの軽量性、耐食性、リサイクル性が鉄道関係者に広く認識され
   通勤車両から新幹線まで幅広くアルミ車両が普及した
 ケミカルシューズ
   昭和27年頃長田区のゴム履物工場で誕生。その当時開発されたビニールレザー(人工皮革)を
   材料に用い安くて軽くて水に強い機能的な靴作りを思い立って出来たものが
   世界初のケミカルシューズだった
 市民による生協
   大正10年キリスト教徒として貧民救済に取り組んでいた賀川豊彦が中心になり現存する中では
   わが国初の本格的な市民による生活協同組合「灘購買組合」と「神戸購買組合」(現・コープこうべ)
   が設立された。当初わずか10人だった組合員は今や120万人を超える
   全国最大規模の生協にまで成長した
 とんかつソース
   大正12年兵庫区松本通りで創業した道満調味料研究所(現・オリバーソース社)
   が昭和23年1月、どろっとした超濃厚ウスターソース、いわゆる
   「とんかつソース」を発売した
 ウスターソース
   明治18年輸入品を参考に医・安井敬七郎が製造。その後渡英しリー&ベリン社で技術を学び
   帰国。29年、兵庫区荒田町に「安井舎蜜(ヘミー/ドイツ語で化学の意の当て字)工業所(現・阪神
   ソース)として本格的な工場をつくり、日本人の嗜好にあった「日の出ソース」を製造・販売した。
 マラソン競技
   明治42年3月、我が国初の「マラソン大競走」が湊川のスタート地点から大阪西成大橋間で行われた。
   この時初めて「マラソン」という呼称が使われた
 バレンタインチョコ
   昭和6年に設立された「神戸モロゾフ製菓」が昭和11年2月12日の英字新聞「ジャパンアアドバタイザー」
   に「バレンタインデーの贈り物にチョコレートを」と広告掲載したのがはじまり


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